FRANKという映画について

編集長のツカダです。

いきなりですが、僕が大好きな映画『FRANK』を紹介します。

まずはあらすじ。

 イギリスでカルト的人気を誇った音楽コメディアン、フランク・サイドボトムをモデルに、マイケル・ファスベンダーが終始被り物を脱がない奇妙な男を演じたコメディドラマ。
 ひょんなことからあるバンドに加入することになった青年ジョン。
 バンドのリーダーのフランクは、四六時中、奇妙な被り物をしている謎めいた男だった。バンドメンバーはそんなフランクに信頼と尊敬の念を寄せており、ジョンもまた、破天荒な魅力をもつフランクに次第にひかれていく。
 そんなある日、バンドの映像がインターネットで話題を呼び、アメリカの大型人気フェスに招かれることになるが、そのことをきっかけにフランクの調子がおかしくなり、バンドは解散の危機に。
 ジョンはフランクがなぜ被り物をしているのか、フランクの過去を探り始める。

というお話。

この映画「奇妙」なんです。
コメディではあるものの、いわゆる「おふざけ」が面白いのではなく、
ジョンという平凡な男が「面白く感じられない部分」(ある種のあるある的な要素)が面白い、という
独特な構図のコメディを展開しています。

バンドのリーダーフランク ⇔ 主人公ジョン
 【天才】【カリスマ】  ⇔ 【凡人

天才フランクと共に過ごす中で、凡人ジョンの中に憧れ嫉妬希望孤独感さまざまな感情が生まれます。
「自分だって成功できる」「自分だって人から認められる」「でも、フランクのようにはなれない」「フランクが羨ましい」「フランクといれば自分も認められるんじゃないか」「でも自分はフランクじゃない」「自分の力で認められたい」「自分の才能がないのも気付いている」「でも認めたくない」、、、うーん、、、。
そんな一言では表すことのできないもやもやとした気持ちを抱えるジョン
これって、あるあるですよね。

この映画、
フランクに焦点を当てて観ると、
コミカルでポップ、でもどこか物寂しい破天荒な人生」をコメディ映画として楽しむことができます。
しかしジョンに焦点を当てて観ると
その気持ちめっちゃわかるよ、、、」と自分のことを描かれたような感覚になり、悔しい気持ちになります。

そして僕が思うこの映画の最大のポイント
フランクは音楽的・ビジネス的な天才ではないというです。
実際作中でフランクは所謂”世界から注目される天才“という扱いはされておらず、
世間からは”ふしぎちゃん“扱いでした。

では、ジョンの心はフランクのどこに惹かれた(カリスマ性を感じた)のでしょうか。
僕から見えたフランクは「自分の才能を傲ることも卑下することもなく、世間の目に左右されることなく自分の感覚を信じる人間」でした。
他者と比較した才能ではなく「自分は自分」という思いを貫ける姿勢がジョンそしてバンドのメンバーの心を惹きつけたのです。

ジョンは音楽の才能がないから落ち込んでいたのではなく、
本質的には「他人と比較することで自分を評価していた」から落ち込み、
フランクに憧れる要因となったのです。

フランクはとてもピュアで、人に優しくユーモラスな存在
それはきっと「自分は自分」(他者と比較するものではない)という心がそう思わせているのだと感じます。

コメディとして楽しむもよし、社会派メッセージを受け取るもよし、劇中歌を楽しむもよし、な映画です。



タイトルとURLをコピーしました